更新遅れました。すみません(by NAKAYA)
8月を思い出して読んでください。ほとんどの人が知らない重要な真実も満載!

日本のお盆といえば、15日の終戦記念日ですが、インドネシアは17日が独立記念日。そして21日がムハンマド(マホメット)の昇天祭なので土日をはさんで5連休だったのです。おかげで、クタはジャワからの観光客で大渋滞だったようですが...。

それはともかく、インドネシアは日本の敗戦を受けて、独立を宣言したんですが、でも、それは中国や韓国のように、日本の支配からの独立ではなく、300年にわたって植民地とされてたオランダからの独立。だから、こっちでは小泉君が靖国神社に行ったなんてことは問題になりません。もちろん、わずか3時間ばかりの停電もね。

でも、あれで電気の大切さ、みなさん、よ〜くわかったでしょ。スローライフは電気のない生活ということから考えましょう。

で、それより、日本の青少年に語り継ぐべき、もうひとつの太平洋戦争秘話がインドネシアにはあるんですね。日本の敗戦を受けて、駐留していた日本軍は本土へ引き上げたのですが、中には、こちらに残って、オランダからの独立戦争に参加した日本兵がいたんです。

一説には2000人、じゃかるた新聞によると1000人の日本兵がインドネシア人を率いてオランダ軍とゲリラ戦を展開。生き残ったのは、わずか200人だったといいます。これはインドネシアではけっこう有名な話で「ムルデカ」というドキュメンタリーなんかも出来ています。

その中で、いまでも健在な方が二人おられまして、ともに84歳。もちろん、こちらの方と結婚して、独立戦争の英雄として、いまも記念式典なんかに呼ばれておるんです。

で、オランダと戦うためにインドネシアに残った日本兵は、日本政府にとっては、ど
うも脱走兵扱いだったようで何の保障もされなかったそ〜です。現在84歳ということは、終戦当時は23〜24歳ですよ。ど〜っすか?そ〜ゆ〜生き方。

ちなみに私も日本の経済戦争から脱走兵でした....。

 

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本文とは関係のない写真説明
先日、私のクルマ、信号待ちでオカマ掘られました。これが犯人。ビール会社の営業のおばさん。理由は眠かったからだそうです。幸い、乗員は全員無傷。ビール1年分で手を打とうかと思いましたが、修理代だけ。クルマは1ヶ月の入院で、代車のレンタカー代は、私持ち。この信号では、前にもバイクに追突され、その時は修理代も取れずに終わってます。

デンパサール空港のトイレにある熱帯魚ならぬ金魚の水槽。ま、これも観光客サービスの一環と考えることも出来ますが、中にいる魚は一生をトイレで過ごすのかと考えれば、あなたの生活はなんと幸せなことでしょう。


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